WBC2023年の侍ジャパンメンバーにも選出され、オリックス・バッファローズの宮城大弥選手。
そんな宮城大弥選手がプロ2年目にして開幕ローテーション入りを果たすなど、活躍が期待されていますが、幼少期は極貧生活だったという話もあるようです。
今回は
- 宮城大弥選手の貧乏時代のエピソード
についてまとめます。
宮城大弥の極貧エピソードまとめ一覧!
宮城大弥選手の父親が交通事故に遭い左腕が不自由になっています。
宮城大弥選手の父親は、現在定職に就いていますが、当時は定職に就けず、福祉協議会や生活保護に頼らざるを得ない生活となってしまったようです。
宮城大弥選手の母親は生活を支えるためにパートで働いていましたが、幼少期はとても貧しい生活をしていたようです。
極貧エピソード① つぎはぎだらけのユニフォーム
宮城大弥選手の極貧エピソード1つ目は
つぎはぎだらけのユニフォーム
です。
宮城大弥選手は練習でも試合用のユニフォームを着て、繰り返し着用していたそうです。
練習や試合でユニフォームが破れてしまったところは縫って直して同じユニフォームを着ていたそうです。
周りのチームメイトにユニフォームのことでいじめられても「許してあげよう。バックを守るのは彼らなんだ」と宮城大弥選手の父親はそう助言したそうです。
極貧エピソード② 1週間ルーとご飯だけの具なしカレー
宮城大弥選手の極貧エピソード2つ目は
1週間ルーとご飯だけの具なしカレー
です。
宮城大弥選手は具なしカレーライスを「ノーフードカレーだね!」と言っていたそうです。
野球の練習でお腹を空かせていたでしょうが、心苦しい母親の気持ちを察してか、明るく振る舞う宮城大弥選手が素敵ですね。
極貧エピソード③ 水道が止められたこと
宮城大弥選手の極貧エピソード3つ目は
水道が止められたこと
です。
水道料金が払えず水道が止められてしまい、水を飲むこともお風呂に入ることもできなかったでしょう。
やかんの中に残っていた水を沸かして宮城大弥選手の母親が宮城大弥選手の身体を拭いてあげたこともあったそうです。
極貧エピソード④ 遠征費を盗んだと疑われたこと
宮城大弥選手の極貧エピソード4つ目は
遠征費を盗んだと疑われたこと
です。
野球チームやその親にも宮城大弥選手の家が貧しいことが知られていたことから高額な遠征費を盗んだのでは?と噂が出ていたそうです。
引っ越し費用を遠征費用に充てたこともあるそうで、様々な工夫をして野球を続けられるよう捻出していたようですね。
宮城大弥選手が基金設立!
宮城大弥選手は自身の幼少期を乗り越え、2022年
『一般社団法人 宮城大弥基金』を設立
しました。
『一般社団法人 宮城大弥基金』は、家庭環境や所得格差に起因する経済的困難な状況にある子供たちに、多方面での支援や援助を行うことを目的として設立されました。
宮城大弥選手の父親とも約束をして『一般社団法人 宮城大弥基金』を設立しました。
『一般社団法人 宮城大弥基金』では、生活が苦しくて野球ができない子供たちに、バットやグローブを贈るという財団です。
貧しいがために野球を諦めてしまうのはとても勿体ないことです。
自身の幼少期の頃の貧しさの苦しみを知っているからこその基金設立なのでしょうね。